ただならぬものを感じて

ヨーロッパの春は、長く閉ざされた冬の日に、
ただならぬものを感じて、ふと窓を開ければ「春」だった、という表現がある。
こんな春と違って、日本の「春」は、きっぱりとした形ではなく
行きつ戻りつしながら次第に深まっていく春と言える。
先日は、温かい陽気のあとに恐ろしいほどの”春一番” が吹き荒れ、
寒さがぶり返してきた。今日、再び暖かな陽気が戻ってきた。
ところが、週末は一転“春の嵐”を呼び込み、大雨や暴風が吹き荒れることになるという。
「春」の中には、このような相反するものを内包しているようだ。

このたびのニュースに、アメリカのスポーツ誌「スポーツ・イラストレイテッド(SI)」
に16号の女性モデルが登場したことが出ていた。
先回、12号サイズの女性モデルが出て大きく報道されたが、
今回はそれよりも大きいサイズのモデル アシュリー・グレアムさんを登用した。
12号サイズは、アメリカの標準的なサイズよりも、まだ少し低めだったが、
16号となると写真で見てもポッチャリ感がある。
このようなモデルが登場するのは、"SI"誌の史上初めてだという。
実際に、笑顔も素敵で、いかにも健康的という感じがする。
近年のファッションモデルと言えば、
小枝のように細い身体に、愁(うれい)を秘めたメイク。
決して笑顔など見せない
一様に、このようなスタイルをとっている。
そういった風潮に対する一撃になったかもしれない。

フランスの詩人ボードレール (Baudelaire) が著した言葉に
”「歓喜」は「美」の最も俗悪な装飾に過ぎない。
それに反して「暗愁」は「美」の卓越した「同伴者」である”
という表現がある。
微笑んだり喜びを表わしたりするものは「美」の中でも最も俗悪なものだ。
「暗愁」など愁(うれい)を含んだものほど人の心を捉えるものはない、
という意味に捉えられる。
たしかに、明るい笑いや健康的に見えるものに魅力を感じるというのは間違いなくあるが、
人に感じる不幸や孤独といったものの影は魅力をかき立てる何かを持っている。
病的な香りすらするモデルに魅かれるのも、こういった美的感覚かもしれない。

春に魅力を感じるのは、暖かさより、
春の持つ「愁(うれい)」といったものかもしれない....
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